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そばの会通信2011年8月

そば打ち職人の独り言;

こんな政治家は要らない。

今年の国家予算は92兆円です。もう間もなく100兆円になることでしょう。歳入は50兆円もないのにつまり半分は借金で賄うわけで、借金の総額も間もなく1000兆円に近い。つまり、年間200万円の年金しか収入がないとすると、あと200万円を借り入れて400万円分で旅行に言ったり贅沢な食事をしたりの豪華な生活をし、借金の総額はもうすぐ5000万円になるけど何の心配もせず息子たちにその借金は引き継ぐことしか考えていないようなものだ。

前年を下回る予算を立てることなど景気回復を期待する国民の声に答えるにはとても出来ない。アメリカの大統領なら当選して4年間はどんなことがあってもその地位を失うことはなく、期間中に必要と思われる政策を世論を見方にし、議会を納得させられれば思い切った政策が実行できるが、日本では派閥政治で多数の賛成者を確保できなければすぐに地位を剥奪され総理大臣の職を解任される。なんとも仕組みも不自由に出来ている。

希望は来年の予算は思い切って歳入と同じ50兆円を限度額に立てて欲しい。借金返済もその中からするから、真水で使える予算はほとんどない。したがって官庁もリストラが必然となる。ばら撒き入らない。1兆円もの景気対策として国民に配った金は何の効果があったのか。政治と政治家の限界が見えた気がしただけだった。税金や借金を投入して底上げした形だけでGNPを作ってきたことがはっきりしてくるだろう。大企業の特に建設業者はほとんどつぶれるだろう。金融機関も回収不能が出てつぶれるところが出てくる。税金を投入して企業救済することは一切しないと前もって企業の自助、自立を促しておくことが良い。大量の失業者が出て食べていけない人も出てくるだろう、予算の大半はその弱者と教育と福祉に回す。軍事費や公共工事はもちろん、一年や二年はゼロの予算で役人に仕事をさせない期間、役人に考える時間を与えることも良いのではないか。その間に全てを見直すのである。

なんていったって日本には資源がない。唯一の海洋資源でも国際的な資源保護の声に首をしめられていくだろう。なんといっても借金で国家が債務不履行になり子孫に付けを回してみじめな国民になりたくはない。

中国は貧しいけれども外国に借金が一銭もない。国債もほとんど発行していない。その昔、中国は借金で国家と民族を滅ぼしてしまうということを身をもって体験し苦しんだ。資本主義国や先進国からの投資や借款を受け入れると国内,国土を食い荒らされ、最後には奴隷になるということを中国は19世紀以来死の苦しみを味わった。中国には未来はないとさえいわれた時代もあった。だから先進国からの技術移転や投資など、限られた範囲の中で受け入れ、ハンドリングできなくなるような改革、開放はしない。あくまでも市場開放は計画的な中だけで行うということだ。中国は日本と違って新しいものや革新的なもの、新技術新制度、その他革新的なものに日本人ならすぐ飛びついて変わり身の速さで世界を驚かすような身軽さはない。何でも大陸的で壮大な実験期間があって100年〜200年かかる壮大なことも平気でやる国だ。日本人のように借金や投資を受け入れて、実現には時間をかけず返済はその後100年でも200年でもあとの世代に引き継ぐような無責任なことはしない。むしろ逆で、今は基礎図クリ、実験団塊だから、教育でも経済政策でも23年やってみてうまくいかなければ違う実験方針を実行する。そして徐々に中国にあった仕組みややり方を取り入れていこうとしていて、決して投資的、リスクの伴う政策はやらない。決して日本で成功したからとか先進国の成功例などをまねしようなどとは考えていない。これは国民的な違いだ。島国の日本と大陸の中国の違いであり、歴史、文化の興った国といろいろな国の文化を取り入れてごちゃ混ぜの中から選りすぐりの技術や文化を抽出しようとする文化の違いだ。だから世界中から非難される。でもどんな非難でもはじき返している。

資本主義でも社会主義でも共産主義でもなんでも良い、主義は別に何でもかまわない。要するに生活を楽しく豊かな日本人らしい生活ができるようにして欲しい。今の政治家は国の借金をどうやって返していくのか、この国をどんな夢のある国にしていくのか、その実現の方法など政治家に期待していることは全く示してくれない。政治家は今、自分が次に選挙にどうしてあがるかと言うことしか考えていない。自分たちの派閥が政権を握り、政策遂行できる権力を取ることしかないのである。国民のために、という聞き飽きた念仏はもう無意味だ。誰と誰と手をつないだらどれだけの勢力を政治家として発揮できるようになるかと言うことしか彼らは考えていない。

説明責任とか何とか言っているが、理屈で物事を解決できるとは誰も思っていない。国民もそんなにバカではない。何も言わなくても結果を出す人が何倍も価値があるし信用できる。欧米からの受け売りで、グローバルスタンダードといってすぐに米国のやり方を真似て知ったかぶりをする人がいるが、日本人の男は黙って結果を出すほうが日本のスタンダードだ。

こんな政治家は要らない。

尖閣諸島に中国の漁師が無断で操業していたといって海上保安庁が拿捕した。中国は直ちに釈放しろといっていろいろな圧力をかけてきた。日本政府は日本の領土に不法に侵入したものは日本の法律にのっとって粛々と手続きをやると言っておきながら、突然釈放した。中国がどうして自分の領土であるといっているのか、その根拠を知りたい。また日本から見た日本の領土である根拠も改めて知りたい。昔から国民は官僚や政治家に騙されることが多く、彼らのいっていることはほとんど信用できない。国民が一人一人自分の判断で尖閣諸島が本当に日本の領土であるのかどうなのか、判断できる情報を正確に欲しいものだ。

文明が普遍的で誰でも参加できるものとしたら、文化はその民族に特有で特殊なもの。他民族からは理解できないものが、ぬくもりがあり、心安らぐものであるというのが司馬遼太郎の言っていた言葉だ。江戸時代の日本が良かった、薪で沸かす風呂に入る、竈で炊いた米で生活したい、素朴な昔風の味のそばが食べたい、このような文化の穴倉へはまり込んだらそこは徹底して心に響いてくるものがある。

現在の日本の官僚機構は老化期に入っていて柔軟性を失い、硬直している。

「日本歴史を点検する」司馬遼太郎と海音寺潮五郎の対話集より

国家と言うものは、アメリカはアメリカ国民を他の国民に優先して保護し、日本は日本国民の利益をどこの国民より優先して保護する。保護することが国家存立の目的なのですからね−(中略)

しかし、これは現在の時点までのことで、本当は世界がひとつになって、国家なんぞなくなって、全人類どこへ行っても同じように利益を享受できることになれば、それが一番良いのですね。それは何百年先のことか分からないが、いつかわそういう時代がくるでしょう。そうなるように人類は努力しなければならない。

司馬遼太郎

「名こそ惜しけれ」

恥ずかしいことはしない、自分に対して、世間に対して、家族や子供に対して

宗教の代わりに倫理規範になっていた

若い人は仕事を選びすぎる。辛抱が足りない。志がうすい

徳川慶喜(15代将軍)は、風呂敷包み一つで水戸へ帰る。権力交代のときは財産および権力は全てかえす、身一つで出て行く。

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そばの会通信2011年3月

今年ほど、春が待ち遠しかった年は初めてです。1月は昼間でも零下の気温で、水道管は凍りつき、部屋の中でもマイナス5度と水も空気も山も谷も、全てが凍りつきました。2月になっても雪が毎週のように降り、梅の花がなかなかほころびませんでした。雪の結晶を観察し、さらさらの雪で焼酎割りを楽しみ、スイスの雪山の景色を窓から見える阿蘇の外輪山で堪能し、長く延びたツララに驚き、そんな中、来るべき次の冬に備えるべく、薪ストーブの薪を集めることも忘れておりません。夕方になると毎日の温泉が最高の楽しみで、ふっくらと温まった身体に心もふっくらとして懐の寒さも忘れてしまいます。

2002年、子供が蝶々を追うようにして、私はこの南阿蘇にやってきました。そこは今まで見たこともない空間でした。どこにいても山の中腹にいるようなところで、下を見るとはるか10キロ先まで左右に山あいが広がり、眼下には緑の田畑が続く。大きなすり鉢の中にいるようなもので、そのすり鉢のはしは青々とした1300メートル級の山がすり鉢上に連なっています。

下界では無縁社会が話題になっています。言葉が一人歩きして、それに囚われている人がメディアやインターネットなどで増幅され、現実社会と切り離されつつ広がりを見せているように思えます。道の真ん中に立ちふさがって、両手を広げてとうせんぼをしているのは誰か。ほかの誰かではない自分自身です。誰でもない自分自身が通せんぼをしていることに気付くと、自分自身を変えるか、替えればすぐに問題が解決することが分かります。腑分けしていくと、心の中の怪物、心の中の欲、心の中の自尊心や自分自身をかわいいと思う心、あるいは自分自身を醜いと思う心など、自分自身の中にいる魑魅魍魎をどう退治するかがその解決の道です。問題は自分の外ではなく中にあります。すり鉢の中に棲んでいると、自然と自分と向き合うことが習慣になってきます。

 

そば打ち職人の独り言;

犬の頭脳を百万個寄せ集めても、一人の人間の頭脳にはるかに及ばない。犬と人との間には絶対と言うべき断絶があります。それと同様、人間の頭脳を何百万個集めても「天にある偉大な力」とは絶対的な断絶があります。パスカルの言う三つの次元の秩序と言う肉体と精神、そして神の霊の世界と言う三次元があり、より高い次元の秩序にはより低い次元の秩序をいくら加えてもその次元に至る事は出来ないという。

アフリカやアラビア半島で起きている反体制派のデモで独裁専制的な政治形態をとっている国が、この世の中にはまだこんなにたくさんあったのかと驚いています。発達した科学では元素の配列が規則正しく仕組まれていることが知られていますし、宇宙の果てをまだ想像も出来ない人間の智恵の限界も解かっています。天の偉大な力は、どんなシナリオを私たち人間の将来に描いているのでしょうか。最近の出来事は、人間の欲望が矮小で知恵の浅はかなことをいやと言うほど知らされましたが、日本は外国で起きていることを他人事みたいに傍観できないし自分たちにも窮屈な将来が迫りつつあるのが現実です。

私が生まれたのは1947年、その80年前1868年の慶応4年正月3日、鳥羽伏見の戦いがありました。最後の内戦といわれる西南戦争は1877年、その少し前、佐賀の乱で大久保利通の率いる政府軍に壊滅され、新政府の初代司法卿を勤めた江藤新平が斬首の上その首がさらされたところは現在森林公園といって佐賀県民の憩いの公園になっています。その明治維新の回転し始めた鳥羽伏見でさえ、たった140年前のこと、それほど時代と言うものは古くはないのです。

ましてや太平洋戦争に於いておやである。戦後65年、まだ歴史の中に埋もれるほどの年は経ていません。源平や関ヶ原、明治維新と日本民族が美しく流した血で語り継がれてきた時代から、官僚の硬直した仕組みの欠陥をさらし、純粋で無垢な若者のおびただしく血を流した昭和、世界40数カ国を相手に戦争した、史上例のない戦争の時代の昭和。

2006年12月18日、国会で防衛庁を防衛省に格上げする法案が、与党の賛成多数で可決成立した翌日の19日、阿蘇では早朝から砲弾の音かミサイルの音がまだんなく続き、窓ガラスがゆれ、地響きがあり、不気味ですさまじい音を轟かせていた。南阿蘇の南外輪山にある演習場での自衛隊の実弾訓練である。アメリカの01年9.11の同時多発テロ以来、日本がイラクへの自衛隊派遣を実行に移したころから一段と演習が目立つものになってきた。どこにこんな無気味な軍用車や戦車があったのかと思われるようなものが、堂々と県道や国道を走るようになり、5〜6台の車列がだんだん増えて10台から20台となり、いよいよ30台、50台といった驚異的な車列となって市民の目にはっきりと見え、しかも自衛隊をはっきりと意識させるような意図さえ見えるようになった。ヘリコプターの大編隊が阿蘇山上を移動する。北西方面から南東方面へ編隊飛行だ。ジェット戦闘機がその上空をどどっと行く。

これほどたくさんの軍事用の多種多様な車両を日本の自衛隊が所有していることはそれまで知らなかった。戦車、装甲車、砲塔を付けさえすればいかめしく恐ろしい軍事用の即戦力の車両になるのでしょう。それらが延々と続く。何の訓練か知らないが、迷彩色を施してあるので、このいかめしい軍用車両と出くわすと、何ともいえない嫌悪感が湧いてくる。これらを統制する組織や機能が、民主的な合意の下、平和と安全を守り、国民の生命と財産を守るための最終手段として、出来ればその機能を行使しないことを最善として装備し、保持するものだと分かっていても、軍靴の音が聞こえてくると言うのは何ともやりきれない思いがする。人間はやっぱりおろかな動物なんだと思わざるを得ない。

このような集団が権力を持って言論や自由や色々な規制をし、ついにはその力をさらに発揮するために情報を操作し、実力で行動を規制した場合それに抗するものはない。イラクやアフガニスタン、最近のシリアなど、その他統治権力を握ったものがはるかに大きい軍事力や警察権力、政治力、などを握った場合、腰に爆弾を巻いて軍用車の下に飛び込んだり、政府専用車を狙って自爆したりする少数意見の人たちの心境が良く理解できる気持ちになる。

こうしてみると、この日本は先進国というにはあまりにもお粗末な官僚政治を拝している。民主化が進んでいないといわれる東南アジアの国々を笑えるはずがない。彼らは武装して果敢に権力に対抗する勇気を持っているし、軟禁されようと弾圧されようと、家族や同じ民族が虐待され血に染まろうとも、権力や体制に反抗し、革命の意思を明確にする行動力があることは、官僚達がこの国を食い荒らして責任も負わず罪にも問われない、それに対して何も行動を起こさない日本人とくらべても、尊敬に値する。革命やテロを賛美するのではない。むしろ断固許せない。ただ同じ日本人として、現在の政治家、官僚など国民の生活や生命財産を守るべき役目をになう人たちの志、思想、信条の粗末さに、情けないのと、何も出来ない自分に対しても情けないだけなのです。

どんな天災でも大いなる人災にくらべるとものの数ではない。火山の噴火や地震などの自然災害は人智の届かないところとあきらめがつくが、人為的な災害は避けることも出来るはずだという悔いが残る。日本の現状では何にもしないということを決める政策が最も重要で効果的な政策ではないでしょうか。新規事業を決めてもハイエナ官僚が群がって予算を取り合いするだけで福祉や弱者救済など名ばかりで実がないことは国民がみな知るところです。

日本人には今何かが必要です。それは仕組みや、規則や金や物ではなく、日本人としての心、志、哲学、信条です。天の啓示を引提げて、日本の行く末を指し示してくれる教祖が必要です。現代の龍馬よ出でませい!。

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そばの会通信2010年10月

十月、酷暑が過ぎて、朝の涼しさを感じる頃、稲刈りがはじまり、一面の景色が秋色に染まっていく。桜の木も青い葉が黄色く色づきながら一枚一枚とその葉を散らしていく。来年の春、また美しい桜の花を咲かすまでは、根っこのほうでゆっくり冬眠に入るのだろう。さあ冬支度をしなくちゃ。

さて、2004年から建築を開始していた新店舗が完成いたしました。7年前、佐賀の老舗羊羹屋の村岡総本舗の社長から茅葺の民家をただで譲っていただき、一年かけて解体してこの阿蘇に運んできました。そして6年前、山林で竹林のジャングルを安く譲ってもらい、竹の根を掘り草を刈って開墾し家を建てられるように慣らしました。そして3年前建ち家をして建築を開始。足掛け7年目、いよいよその家が完成することになりました。家の形は原型とは違うものになりましたが、古い民家の材料を出来るだけ使い、その土地に古くから茂っていた木立に囲まれるようにひっそりと阿蘇の山を望むように建っています。店長は中津由裕氏。彼はこの3月まで会社員でしたが、そばを食べに3年前くらいから一心庵に通っていて、私のスカウトにまんまとつかまってしまい、会社を辞めて新しい店の運営を全て引き受けてくれることになりました。とてもまじめでさっぱりした性格の人です。アウトドアも好き、それでいて生活の至るところでこだわりがあり、そば職人としては適任ではないかとご縁に感謝するとともに、とても期待しています。新店の落成に当たり、皆様に日ごろのご愛顧に感謝し、招待日を設定し、謹んでご招待申し上げます。また、「新蕎麦を食べる会」のご案内もあり盛りだくさんの11月ですが、どうか万障お繰り合わせの上ご来駕いただきますようお待ち申し上げます。

 

そば打ち職人の独り言;

『三四郎』の中で漱石は「7年もあると人間はたいていのことが出来る。しかし、月日はたちやすいものでね。7年ぐらいじきですよ」と言う文句がある。

今年は南阿蘇に住み始めて8年、一心庵を開店して7年が過ぎました。そして、7年前に開始した店の新築工事もいよいよ完成いたしました。たくさんのすばらしいお客様とご縁が広がり、地元の村人や自然からも温かく包まれ、本当にあっという間ですね、時の経過は。私は63歳。若い頃は社会の仕組みや人との関係、良い人、悪い人の見分け方、騙す人や落とし穴などいろいろなことを覚えながら、それでも騙されたり、失敗したりしてやってきた。今、この歳になって、こうすればこうなると分かっている。「儲け話しには裏がある」、これが知恵だ。だから若い頃は10年かかっていたことも、今は人の考えも、金やものの流れも、何でも分かっているから1年で出来る。だから、今こそ夢が本当にかなうときだと思う。60歳から10年で畑を耕して基礎を作り、次の10年で実を成らす。可能性なら経験豊富な我々のほうに1日の長がある、いや10年の長がある。だから、若い人の馬力と、経験豊富な熟年者(老人ではない)が手を握り、事業をはじめ、それぞれの持ち味を生かしあったらきっとうまくいくだろう。さらに経験が役に立つことがある。仕事でも夫婦の間でもまた遊びや趣味の仲間の間でも、意見の違いや見解の違いは必ずある。そのときの対応の仕方でその後の双方の関係がぜんぜん違ったものになる。若い頃はつなぎがなくても若さという吸引力でおたがいにくっついていたんだと思います。でもだんだん年を取ってきて、お互いの価値観の違いに気付き始めると、つなぎが必要になってきます。蕎麦のつなぎと一緒です。

中国と日本の関係などは良い例だ。国際関係では自分の見解を相手の立場を無視して発言するとその結果は感情的になり、国民のナショナリズムを刺激して解決の糸口をもつれさせてどんどん悪くしてしまう。

うまくいっているときは意見の違いや見解の違いが表に出ていない。相違点がないからうまくいっているのではない。その相違点が表面に出てきたとき、お互いにどのように対処しようかという解決方法をあらかじめ決めておくことが大切なことだ。民主的な方法は多数決が一般的だが、良い方法とはいえない。現実にはトップや役職が上の人、つまり力の強い人の意見を取り入れることが多い。少数の不満をもつ人が必ずいて、いつか噴出する。仕事にしても夫婦にしてもまた国際関係にしても、「自分本位で相手のことを考えていませんでした。まことに申し訳ありませんでした」と誤ることが関係修復の第一歩だ。先に誤ったほうが負けだという人もいるが、そんなことはない。自分本位を誤るだけで、相手の言い分を良く聞いて、相手の言い分と自分の言い分とを広く知らしめ、虚心坦懐であること、謙虚であること、損得、善悪と言う現代的価値観と決別するのです。多数決ではなく誰でも納得のいく解決策を導くことが一番大切なことです。じゃ何を根拠とするか、平和、友情、愛情、奉仕、協調、真理、自制、堅実、克己などです。弱肉強食の世界では弱者の論理、敗者の主義、といわれそうです。でも、戦後の高度成長、競争、技術開発、経済発展、合理化、グローバル化で私たちの生活は豊かに、幸福になったでしょうか。世界の秩序や価値観が変わろうとしているのだと思います。

マハトマガンジーは「力は肉体的能力からくるものではない。それは不屈の意志から湧き上がるものだ」「満足は努力の中にあって、結果にあるものではない」「人間は生きるために食べるべきであって、味覚を楽しむために食べてはならない」「土を耕すのを忘れるということは、自分自身を忘れるということだ」

日野原重明氏は「生き方上手」の中で、「人は本来、どんな不幸にも耐えることが出来る。あきらめることのない希望さえあれば」「きりのない願望が、あなたを幸せから遠ざけます」これらの言葉は人の価値観の根底におきたいものだ。

人には欲望があります。欲望もない人は腑抜けだという人がいるがそうでしょうか。欲望は生死を伴います。食欲、性欲、金儲け、愛憎、物欲など戦国時代は生きるため、欲望を満足させるため相手を服従させ、領土を広げ、民族の囲いを広げるために他の民族を滅ぼして自分の欲望を充足させました。現代は領土拡大や進出、占領などはしていないように見えて、経済発展、技術発展の現状は経済戦争で生死をかけた競争が激しくなっています。貧困は格差がますます拡大し、自殺者は空前の数です。このままではいつまで経っても欲望が果てしなく続き、豊かで平和な世界の実現はむつかしそうです。

新しい秩序が必要です。政治がそのことに気が付くべきですが、彼らは政党の拡大、宗教団体、企業、組合など組織との関係を深め、群れを作ることで金の力と数の論理をいまだに信奉しています。真の政治はどこにもありません。

司馬遼太郎は正岡子規について、その精神に虚喝というものが少しもなかったとあります。物事を文章で表現しようとすると必ず書く人の精神性が現れる。そしてその中に多少の虚喝が混じる。子規には正直で力んで表現しようとすることはなく、常に平易であった。反対に政治は虚喝で成り立っています。

柿食えば  鐘が鳴るなり  法隆寺

どこからこのように平らかな詩句が湧いてくるのだろうか。

生死と無関係の秩序が必要です。さまざまな取り決めですが、現代では茶道、武道、スポーツ、道徳、倫理などの作法や遊戯の中にその方法が見えます。

私にはそれ以上の能力はありませんが、みんなが期待している新しい秩序への夢や希望が少しずつ実現していくことを願っています。

さて、本店店長の中津夫妻との出会い。何か気付かせてくれる、何か目覚めさせてくれる、そんな大切な出会いです。私に必要な人が目の前に現れたのです。

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そばの会通信2010年7月

下駄の鼻緒がまた切れた。一度は夏のシャツを切り裂いてすげ替えたが、足の指に柔らかくて気持ちの良い、しかも強い生地がなかなかない。私が小さい頃、下駄は普通の履物だった。母がゆかたの生地が一番いいといって古い浴衣を裂いて、手際よく直してくれたものだった。下駄を履くのは、スーツにネクタイの窮屈な仕事をしているうちからあこがれていた。すし屋の兄ちゃんのような高下駄ではないが、それでも桐の下駄だ。幅広くて軽い、素足に履く下駄の感触はたまらなく良い。最初に買ってきたこの下駄が一番あっている。そば屋には下駄が似合う。自分でそう決めている。白い前掛けに鉢巻を閉め、下駄を履くのが私のそば屋の決まりだ。たかがそば屋でも、「こんなところにはこうでなければならない」と凝る所があったんだとちょっと自分を笑える。

そういえば新しい下駄は、子飼(こかい)の商店街の中の下駄やさんで買った。私の蕎麦をいつも待っていてくれる、気持ちの良い老夫婦だ。子供が裁判所に勤めていて、東京に転勤になったという。頭が良くて裁判官になって、あっと気がついたら、下駄やを継いでくれる者がいないことに気がついたと笑う。子飼は水前寺清子が出たところで、商店街の看板には彼女の顔が描かれている。下駄屋のご夫婦は、寅さんの映画に出てくるおいちゃんのご夫婦に似ている。お客さんにもとても気さくで、お茶を飲みながら長話をしていくおばさんたちがいつもたくさんいて、店はそんな気さくなお客で賑わっている。この店も昔は毎日千人ものお客があってものすごくはやっていたのだと言う。夜の間に、空になった棚に商品を置く。ご主人は下駄をすげ、毎日夜も寝る暇がないほど売れたと言う。あればあるだけ売れた。商品を出すのが追っつかないほどだった。それが今ではスーパーやショッピングセンターに取られてしまった。日本中の昔の風情を残した商店街が、今、風前の灯である。

 

そば打ち職人の独り言;

今回はトイレのことです。フランスのシャルルドゴール空港は未来都市を思わせるようなチューブ型の通路が建物と建物をつないでいます。フランスらしいしゃれた空港です。パリの有名な百貨店でのことです。ここのトイレに入って驚いた。顔の前に便器が並んでいる。え!何のことか分からないって?私は身長160センチメートル弱の日本人でも背の低いほうですが、しかし、その便器は、顔を突っ込んで洗うのかと見間違うほどの高さでずらりと並んでいたのです。オランダ人は平均身長が190センチといいます。フランス人も180センチほどはあるかもしれませんが180センチ以下の人はとても小用を足すことは出来ません。しばし考えました。二歩下がって消防の放水訓練のように山なりに便器に向かって放尿するしかない。しかし、便器に届くまでの間と終わってから放水がしぼんでいく間は便器に入らない。仕方なく、大便器のふたを開けて子供と同じ用の足し方で済ませましたが、フランス人は背の低い人間のことを考えないのか、「人をバカにしているんではないか」と思えて仕方ありません。

アメリカのトイレは、大便所の扉が上のほうも下のほうも開放されています。つまり上からと下からのぞこうと思えばのぞけるのです。下を見て足が二本並んでいないところは誰も使用していないと分かります。つまり便器が腰掛の西洋式だからそんな扉になったのでしょう。和式だと剥き出しのお尻が見えてしまいます。さて米国でのバス旅行は、長距離を運転手だけ交代して途中トイレ休憩をしながら20時間から30時間を旅します。そこでトイレには我慢できなくなってから行くのではなく、頻繁に行って安全かどうかを見極めたうえで用を足す心構えが必要です。安全なところで用を足しておいて余裕を持っておくことです。良くトイレに悪さをする人間が潜んでいることがあります。人間を見る訓練をすればたいていの人間は目を見ただけで判ります。目で相手を判断するのです。おかしいと思ったら決して無理をして近づかないことです。「君子危うきに近寄らず」は、現代にも通じる格言です。

さてそこで衝撃的な中国のトイレを紹介します。最近はきっと変わっていると思いますが、1990年ころの中国です。上海、北京、天津と中国の改革開放が始まったばかりを視察して回ったときのことです。天津駅のトイレに入ったとき、昭和40年のころ、大学に入って東京に行くときの佐賀駅を思い出しました。小便器は仕切りも扉もなく横に並んでモルタルの壁に向かって用を足します。用を足しながら後ろを振り向いてギョッとしました。ヒキガエルのように同じ方を向いて用を足している人が34人並んでいるのです。糞尿はまたいだ間の深い地下の便つぼに落ちていきます。仕切りも扉もありません。用を足している人の尻をいやでも見ながら用を足すわけですが、用を足したあとどうやって尻を拭いたのか、トイレットペーパーなどあるはずもなく、紙を出して拭いている様子もありません。においが昔の日本の駅のトイレを思い出して、臭くて目や鼻に刺激が強く、じっと詳しく観察していませんので詳しいことは不明ですが、あとで一緒に行った同行者との話でも、それはへらで拭くんだとか、いや拭いたりしないでそのままズボンを穿くんだとかいろいろな説がありました。さて日本のトイレです。私が小さいころのトイレは汲み取りでした。小便も大便も便所の床の下一間ほどに便壷が埋めてあります。一杯になったら汲み取りさんが来てひしゃくで桶に汲みとっていきます。桶は大八車やリヤカーで人が引いたり馬が曳いたりして積んである桶が一杯になったら畑のそばのあぜ道の近くの地中にいけてある大きなかめに移します。その糞尿が醗酵して適当な日にちを熟すと再び桶に入れて肥料として畑に蒔くのです。そのころの畑には紙や脱脂綿がたくさん散らばってました。人糞を利用することはその後禁止されたようですが、駅の匂いといい、畑の匂いといい、そのころは日本中が独特の匂いに覆われていました。それが中国に行ったときに半世紀ぶりにその匂いをかぐことになったのです。列車のトイレは線路の上に殺菌も消毒もせずにばら撒かれていましたから、枕木を変えたり線路工事をする人は大変だったでしょう。トイレットペーパーなどを利用し始めたのはまだつい最近のことです。それまでは新聞紙や不要になった本を破って使っていました。用を足すときも、じっと踏ん張っていきんでいるだけではなく、両手で紙を揉んで、よくふき取れるように準備しなくてはなりません。紙がないときは「もうせん、紙な〜い」と家族を呼んで紙を持ってきてもらうのです。トイレのちょっとしたエチケットは、落とし紙といって用を足す前に紙を一枚下に落としておきます。それがないと大きい便が下に落ちたときにボチャーンと跳ね返りが上に飛んできてお尻についてしまうのです。女性の場合は音を消すために使用されてたようです。

半世紀前は畑の隅でよくばあさんが立ったまま小用を足していることがありました。お尻をちょいと向こうに向けて立ったまま身体を前に曲げ和服のすそを捲り上げて用を足すのです。昔はパンツをはかない腰巻だけでしたから、随分昔から女性の立小便は一般的だったのでしょう。この南阿蘇村ではつい最近もばあさんの立小便を見る機会がありました。別に見ようと待ち構えていたわけではありませんが、少し知っているばあさんの家をたずねたとき、畑仕事をしているところを見かけて、声をかけようとしたときにちょっと不審な動きで回りを見渡しているので動きを止めてじっとしていたら用を足す動作だったので、こちらのほうがあわててしまい、そのときは用事を取りやめて帰ってきました。今や、日本の便器は世界一進んでいて、お尻を洗ってくれるシャワーや便座を暖めるヒーターがついていたり、匂いを取る換気扇がついていたり、音を消すための流れる水洗の音を流したり至れり尽せりで、世界中から注目を浴びていますが、半世紀前はまだ江戸時代とそれほど違わなかったのです。

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そばの会通信2010年3月

今年初めてのそば通信です。皆さんお変りございませんか。やっと春がやってきましたね。梅が咲き、うぐいすがなき、メジロが嬉しそうに飛び回っています。虫も出てきました。最初にその虫を見たときは「ハッ」とするほど驚きました。まるで宇宙生物のエイリアンかと思われたものです。その形態とすばやい歩き方はこの世のものとは思えませんでした。あとでそれが「ゲジゲジ」だと分かりましたが、ムカデやゴキブリのようにちゃんとした名前かどうかもわかりません。特に刺したり噛んだりするわけではなさそうだが、その恐ろしげな形と動作にはいかにも嫌われ者のような「ゲジゲジ」としか形容の仕様がなかったのでしょう。生まれ故郷の佐賀ではお目にかかったことはありません。この阿蘇では、誰でもすぐに出会うことが出来るでしょう。

ところでこの阿蘇ではこれまでいろいろなことに出くわしました。夜中に寝ているときに突然「野ネヅミ」に顔の上に乗られました。また、知らない間に野ネヅミが部屋の中の応接セットの上で子ネヅミを四匹産んでました。ムカデが布団の中に入ってきて大事なところを噛まれた。ムカデはスリッパの中、靴の中に入ってきて、油断していてかまれたこともあります。蛇が部屋の中に入ってきた。干した洗濯物の中に入っていた蜂に、シャツに腕を通したとたんに刺された。こんなことがあるので、毎日寝る前には必ず布団をはたいて、何もいないことを確認します。スリッパや靴は中を確認、晴れた日は出来るだけ布団を干したり、部屋を掃除します。さらに近くにはサルが50匹近くの集団で人間の作った農作物を食べにくる。赤ちゃんを背負い、両手にだいこんやニンジン、口にも咥えて国道を横切って走って山へ帰っていく。そば打ちをしていると目の前の駅のプラットフォームをイタチがかわいいしぐさで渡っていく。阿蘇はこのように野性的で自然が一杯の中で人間が共存しているところなのです。

 

そば打ち職人の独り言;

中学一年のときに初めて二日酔いを経験した。同級生の誕生会だった。出された赤玉ポートワインがおいしくてがぶ飲みし、夜中にはいた。翌日は授業中も頭が痛くて困った。高校一年の時には無免許運転でつかまった。河川敷や運転免許試験場を借りて練習はしていたのだが、その日は父が助手席に乗り市内へ買い物に行こうと弟たちを後ろに乗せて出発した。家を出て一キロも行かないところに本行寺交番があってたまたまその日は巡査が取締りをやっていた。まだ子供みたいな私が運転しているのに不信を持った巡査が旗を振って左に止まるように指示した。止まってすぐに助手席の父が運転席の私と入れ替わったのだがその現場もしっかり巡査に見られていた。そのあと調書を取られ家庭裁判所に呼び出されて『ちゃんと免許を取って乗るように』と諭されて学校からはお咎めなしで済んだ。高校二年のとき軽自動車の免許を取ることが出来た。父はそのときマツダのキャロルという軽自動車を買ってくれた。父は本当に心の大きな人でした。高校三年のとき、友人の自宅が全焼した。私の運転で担任の先生と同級生を乗せて見舞いに行った。彼は自宅も全焼し勉強道具や衣服など全部燃えてしまったのに何の影響も無かったかのように高校を主席で卒業した。さらに東京大学へ進み、二十数年後「日本銀行福岡支店長」として九州へ戻ってきた。これはお祝いに行かなくちゃと支店長室に一人で会いに行った。入口で門番や警備員の質問も同級生と言うだけで難なくクリヤし古くて重厚な大理石造りの建物に入り、天井の高い支店長室で彼と面会し、『日本銀行て何の仕事ばしよっと?』と一般の国民には直接関わることのない仕事の内容を聞いてみたけど『銀行に金ば貸すとが仕事さい』と聞いてなんとなく納得したものだ。そしてその地下金庫には数億ではなく何兆円もの現金が保管してあると聞いてびっくりした覚えがある。2003年この阿蘇の山奥の無人駅を借りてそば屋を開店したときに、この店にはあまりにも大きくて立派な生花をお祝いに贈ってくれた。次の逸文は高校卒業の際に彼が私に贈った辞です。『地球は俺を中心に回っている。俺がやらずして誰がやる。いざ友よがんばろう。友情のとこしえに続かんことを祈るや切』この辞の通りいつまでも友情を忘れない彼である。

話は変わるが、障害児福祉施設というのがある。ゼロ歳から18歳までの子供を預かり、家庭と同じような生活をして、そこから学校へ通わせるのである。子供は家庭で虐待を受けて預けられることが多い。まだ三歳から五歳の子供が、食べ物にも遊ぶことにも何の興味も示さない。15歳になっても恥ずかしいという観念がない。中高生になっても同年齢の子供たちのような感情が育っていない。おんぶされたことがないので、おんぶしても首に手を巻きつけることが出来ない。抱いてやっても抱きついてこない。悲しいという感情がなく泣かない。家庭で親から躾を受けていないばかりか愛情のかけらさえ受けていないのです。さらに、保育園に預けられる子供の事を聞いた。0歳から預かるのだが、若い母親がまだ朝眠っている生まれて数ヶ月の赤ちゃんをそのまま「ほい」と保母さんに預けていく。赤ちゃんが目を覚ましたときは全然みたこともない他人の保母さんで、一日中乳をもらうのも他人の保母さん。夕方母親が引き取りに来ても翌朝までの間にどれだけ母と子の親密な接触が出来ているのか心配なことだ。「子供が母親になつかない」とか、夜鳴きをして困る、児童虐待で事件になったことを耳にすると子供のせいではなくおとなの都合でこのような結果を招いたとしか言えず、親が親としての責任を果たしていない結果ではないかと思えてくるのです。犬や猫でさえ、子供には餌を与えながら生きていくための智恵や愛情や兄弟親子の関係や想いを身体全体にすり込んでいくのです。一人一人の子供が工場で大量生産されるように同じ品質で材料で作られるわけではないのです。若い夫婦が自分たちの時間が欲しいために休みの日でも子供との時間を大切にせず保育園に預けて自分たちは遊んでいると聞いて子供を持つという自覚が足りないと思いました。苦労して事業を起こして発展させた父母ですが、私たち子供をいつも身近において大切にしてくれた父母のことを切にありがたいと思います。

健全に育った若者にも苦言がある。もっと若者たちに世界に出かけて欲しい。遊んで回れ、観光地へいけというのではない。史跡、美術館、博物館などを訪ね、各国の若者と交流し、考え方の違いを自分で経験して欲しい。そして外国から見た日本がいかに自分本位で、考えることが小さいか、いろいろな見方や考え方があることを知って欲しい。そしてなにより、普遍性を身につけてかえってきて欲しい。流行や目の周りの小さなことに目を奪われるのではなく、またゲームや若者に注目をひきつけるマスコミや企業の商業主義に惑わされることなく、地球はどうあるべきか、食料や資源はどうなっていくのか、人類はこれからどうあるべきか、国家とは国民とはどうなっていくのが理想なのか、そこから政治とは、経済とはどこへ向かっていくのがあるべき姿なのか。

坂本竜馬もあっちこっちに旅行している。長崎、鹿児島、京都、江戸、それも足で歩いて行ったりきたり、何回も。お金や時間があるとかないとかは二の次だ。要は志しがあるかどうかだ。勝海舟や大久保利通、福沢諭吉などはアメリカにも行っている。旅行することでいろんなものを見、無数の人に出会う、そしてそれを記録するだけに終わる人もいれば、ラウドスピーカーとなって革新、創造に多大の貢献をする影響をもつ人も出てくる。デカルトも「旅は大いなる本である」と言っている。荻生徂徠は「徂徠先生問答集」の中で「立派な武士になるには先ず歴史をやれ。そして旅行せよ」と言っている。歴史をやって時間的に過去にさかのぼって広い世界を知り、旅行をして空間的に広い世界を知れば、目が開かれて人生を知り社会を知る。

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庵主ブログ開館の巻
 

2012年春、庵主ブログもスタートです。
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そば通信

そば打ち職人の独り言;

こんな政治家は要らない。

今年の国家予算は92兆円です。もう間もなく100兆円になることでしょう。歳入は50兆円もないのにつまり半分は借金で賄うわけで、借金の総額も間もなく1000兆円に近い。つまり、年間200万円の年金しか収入がないとすると、あと200万円を借り入れて400万円分で旅行に言ったり贅沢な食事をしたりの豪華な生活をし、借金の総額はもうすぐ5000万円になるけど何の心配もせず息子たちにその借金は引き継ぐことしか考えていないようなものだ。

前年を下回る予算を立てることなど景気回復を期待する国民の声に答えるにはとても出来ない。アメリカの大統領なら当選して4年間はどんなことがあってもその地位を失うことはなく、期間中に必要と思われる政策を世論を見方にし、議会を納得させられれば思い切った政策が実行できるが、日本では派閥政治で多数の賛成者を確保できなければすぐに地位を剥奪され総理大臣の職を解任される。なんとも仕組みも不自由に出来ている。

希望は来年の予算は思い切って歳入と同じ50兆円を限度額に立てて欲しい。借金返済もその中からするから、真水で使える予算はほとんどない。したがって官庁もリストラが必然となる。ばら撒き入らない。1兆円もの景気対策として国民に配った金は何の効果があったのか。政治と政治家の限界が見えた気がしただけだった。税金や借金を投入して底上げした形だけでGNPを作ってきたことがはっきりしてくるだろう。大企業の特に建設業者はほとんどつぶれるだろう。金融機関も回収不能が出てつぶれるところが出てくる。税金を投入して企業救済することは一切しないと前もって企業の自助、自立を促しておくことが良い。大量の失業者が出て食べていけない人も出てくるだろう、予算の大半はその弱者と教育と福祉に回す。軍事費や公共工事はもちろん、一年や二年はゼロの予算で役人に仕事をさせない期間、役人に考える時間を与えることも良いのではないか。その間に全てを見直すのである。

なんていったって日本には資源がない。唯一の海洋資源でも国際的な資源保護の声に首をしめられていくだろう。なんといっても借金で国家が債務不履行になり子孫に付けを回してみじめな国民になりたくはない。

中国は貧しいけれども外国に借金が一銭もない。国債もほとんど発行していない。その昔、中国は借金で国家と民族を滅ぼしてしまうということを身をもって体験し苦しんだ。資本主義国や先進国からの投資や借款を受け入れると国内,国土を食い荒らされ、最後には奴隷になるということを中国は19世紀以来死の苦しみを味わった。中国には未来はないとさえいわれた時代もあった。だから先進国からの技術移転や投資など、限られた範囲の中で受け入れ、ハンドリングできなくなるような改革、開放はしない。あくまでも市場開放は計画的な中だけで行うということだ。中国は日本と違って新しいものや革新的なもの、新技術新制度、その他革新的なものに日本人ならすぐ飛びついて変わり身の速さで世界を驚かすような身軽さはない。何でも大陸的で壮大な実験期間があって100年〜200年かかる壮大なことも平気でやる国だ。日本人のように借金や投資を受け入れて、実現には時間をかけず返済はその後100年でも200年でもあとの世代に引き継ぐような無責任なことはしない。むしろ逆で、今は基礎図クリ、実験団塊だから、教育でも経済政策でも23年やってみてうまくいかなければ違う実験方針を実行する。そして徐々に中国にあった仕組みややり方を取り入れていこうとしていて、決して投資的、リスクの伴う政策はやらない。決して日本で成功したからとか先進国の成功例などをまねしようなどとは考えていない。これは国民的な違いだ。島国の日本と大陸の中国の違いであり、歴史、文化の興った国といろいろな国の文化を取り入れてごちゃ混ぜの中から選りすぐりの技術や文化を抽出しようとする文化の違いだ。だから世界中から非難される。でもどんな非難でもはじき返している。

資本主義でも社会主義でも共産主義でもなんでも良い、主義は別に何でもかまわない。要するに生活を楽しく豊かな日本人らしい生活ができるようにして欲しい。今の政治家は国の借金をどうやって返していくのか、この国をどんな夢のある国にしていくのか、その実現の方法など政治家に期待していることは全く示してくれない。政治家は今、自分が次に選挙にどうしてあがるかと言うことしか考えていない。自分たちの派閥が政権を握り、政策遂行できる権力を取ることしかないのである。国民のために、という聞き飽きた念仏はもう無意味だ。誰と誰と手をつないだらどれだけの勢力を政治家として発揮できるようになるかと言うことしか彼らは考えていない。

説明責任とか何とか言っているが、理屈で物事を解決できるとは誰も思っていない。国民もそんなにバカではない。何も言わなくても結果を出す人が何倍も価値があるし信用できる。欧米からの受け売りで、グローバルスタンダードといってすぐに米国のやり方を真似て知ったかぶりをする人がいるが、日本人の男は黙って結果を出すほうが日本のスタンダードだ。

こんな政治家は要らない。

尖閣諸島に中国の漁師が無断で操業していたといって海上保安庁が拿捕した。中国は直ちに釈放しろといっていろいろな圧力をかけてきた。日本政府は日本の領土に不法に侵入したものは日本の法律にのっとって粛々と手続きをやると言っておきながら、突然釈放した。中国がどうして自分の領土であるといっているのか、その根拠を知りたい。また日本から見た日本の領土である根拠も改めて知りたい。昔から国民は官僚や政治家に騙されることが多く、彼らのいっていることはほとんど信用できない。国民が一人一人自分の判断で尖閣諸島が本当に日本の領土であるのかどうなのか、判断できる情報を正確に欲しいものだ。

 

文明が普遍的で誰でも参加できるものとしたら、文化はその民族に特有で特殊なもの。他民族からは理解できないものが、ぬくもりがあり、心安らぐものであるというのが司馬遼太郎の言っていた言葉だ。江戸時代の日本が良かった、薪で沸かす風呂に入る、竈で炊いた米で生活したい、素朴な昔風の味のそばが食べたい、このような文化の穴倉へはまり込んだらそこは徹底して心に響いてくるものがある。

 

現在の日本の官僚機構は老化期に入っていて柔軟性を失い、硬直している。

「日本歴史を点検する」司馬遼太郎と海音寺潮五郎の対話集より

国家と言うものは、アメリカはアメリカ国民を他の国民に優先して保護し、日本は日本国民の利益をどこの国民より優先して保護する。保護することが国家存立の目的なのですからね−(中略)

しかし、これは現在の時点までのことで、本当は世界がひとつになって、国家なんぞなくなって、全人類どこへ行っても同じように利益を享受できることになれば、それが一番良いのですね。それは何百年先のことか分からないが、いつかわそういう時代がくるでしょう。そうなるように人類は努力しなければならない。

司馬遼太郎

「名こそ惜しけれ」

恥ずかしいことはしない、自分に対して、世間に対して、家族や子供に対して

宗教の代わりに倫理規範になっていた

若い人は仕事を選びすぎる。辛抱が足りない。志がうすい

徳川慶喜(15代将軍)は、風呂敷包み一つで水戸へ帰る。権力交代のときは財産および権力は全てかえす、身一つで出て行く。

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