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そばの会通信2010年3月

今年初めてのそば通信です。皆さんお変りございませんか。やっと春がやってきましたね。梅が咲き、うぐいすがなき、メジロが嬉しそうに飛び回っています。虫も出てきました。最初にその虫を見たときは「ハッ」とするほど驚きました。まるで宇宙生物のエイリアンかと思われたものです。その形態とすばやい歩き方はこの世のものとは思えませんでした。あとでそれが「ゲジゲジ」だと分かりましたが、ムカデやゴキブリのようにちゃんとした名前かどうかもわかりません。特に刺したり噛んだりするわけではなさそうだが、その恐ろしげな形と動作にはいかにも嫌われ者のような「ゲジゲジ」としか形容の仕様がなかったのでしょう。生まれ故郷の佐賀ではお目にかかったことはありません。この阿蘇では、誰でもすぐに出会うことが出来るでしょう。

ところでこの阿蘇ではこれまでいろいろなことに出くわしました。夜中に寝ているときに突然「野ネヅミ」に顔の上に乗られました。また、知らない間に野ネヅミが部屋の中の応接セットの上で子ネヅミを四匹産んでました。ムカデが布団の中に入ってきて大事なところを噛まれた。ムカデはスリッパの中、靴の中に入ってきて、油断していてかまれたこともあります。蛇が部屋の中に入ってきた。干した洗濯物の中に入っていた蜂に、シャツに腕を通したとたんに刺された。こんなことがあるので、毎日寝る前には必ず布団をはたいて、何もいないことを確認します。スリッパや靴は中を確認、晴れた日は出来るだけ布団を干したり、部屋を掃除します。さらに近くにはサルが50匹近くの集団で人間の作った農作物を食べにくる。赤ちゃんを背負い、両手にだいこんやニンジン、口にも咥えて国道を横切って走って山へ帰っていく。そば打ちをしていると目の前の駅のプラットフォームをイタチがかわいいしぐさで渡っていく。阿蘇はこのように野性的で自然が一杯の中で人間が共存しているところなのです。

 

そば打ち職人の独り言;

中学一年のときに初めて二日酔いを経験した。同級生の誕生会だった。出された赤玉ポートワインがおいしくてがぶ飲みし、夜中にはいた。翌日は授業中も頭が痛くて困った。高校一年の時には無免許運転でつかまった。河川敷や運転免許試験場を借りて練習はしていたのだが、その日は父が助手席に乗り市内へ買い物に行こうと弟たちを後ろに乗せて出発した。家を出て一キロも行かないところに本行寺交番があってたまたまその日は巡査が取締りをやっていた。まだ子供みたいな私が運転しているのに不信を持った巡査が旗を振って左に止まるように指示した。止まってすぐに助手席の父が運転席の私と入れ替わったのだがその現場もしっかり巡査に見られていた。そのあと調書を取られ家庭裁判所に呼び出されて『ちゃんと免許を取って乗るように』と諭されて学校からはお咎めなしで済んだ。高校二年のとき軽自動車の免許を取ることが出来た。父はそのときマツダのキャロルという軽自動車を買ってくれた。父は本当に心の大きな人でした。高校三年のとき、友人の自宅が全焼した。私の運転で担任の先生と同級生を乗せて見舞いに行った。彼は自宅も全焼し勉強道具や衣服など全部燃えてしまったのに何の影響も無かったかのように高校を主席で卒業した。さらに東京大学へ進み、二十数年後「日本銀行福岡支店長」として九州へ戻ってきた。これはお祝いに行かなくちゃと支店長室に一人で会いに行った。入口で門番や警備員の質問も同級生と言うだけで難なくクリヤし古くて重厚な大理石造りの建物に入り、天井の高い支店長室で彼と面会し、『日本銀行て何の仕事ばしよっと?』と一般の国民には直接関わることのない仕事の内容を聞いてみたけど『銀行に金ば貸すとが仕事さい』と聞いてなんとなく納得したものだ。そしてその地下金庫には数億ではなく何兆円もの現金が保管してあると聞いてびっくりした覚えがある。2003年この阿蘇の山奥の無人駅を借りてそば屋を開店したときに、この店にはあまりにも大きくて立派な生花をお祝いに贈ってくれた。次の逸文は高校卒業の際に彼が私に贈った辞です。『地球は俺を中心に回っている。俺がやらずして誰がやる。いざ友よがんばろう。友情のとこしえに続かんことを祈るや切』この辞の通りいつまでも友情を忘れない彼である。

話は変わるが、障害児福祉施設というのがある。ゼロ歳から18歳までの子供を預かり、家庭と同じような生活をして、そこから学校へ通わせるのである。子供は家庭で虐待を受けて預けられることが多い。まだ三歳から五歳の子供が、食べ物にも遊ぶことにも何の興味も示さない。15歳になっても恥ずかしいという観念がない。中高生になっても同年齢の子供たちのような感情が育っていない。おんぶされたことがないので、おんぶしても首に手を巻きつけることが出来ない。抱いてやっても抱きついてこない。悲しいという感情がなく泣かない。家庭で親から躾を受けていないばかりか愛情のかけらさえ受けていないのです。さらに、保育園に預けられる子供の事を聞いた。0歳から預かるのだが、若い母親がまだ朝眠っている生まれて数ヶ月の赤ちゃんをそのまま「ほい」と保母さんに預けていく。赤ちゃんが目を覚ましたときは全然みたこともない他人の保母さんで、一日中乳をもらうのも他人の保母さん。夕方母親が引き取りに来ても翌朝までの間にどれだけ母と子の親密な接触が出来ているのか心配なことだ。「子供が母親になつかない」とか、夜鳴きをして困る、児童虐待で事件になったことを耳にすると子供のせいではなくおとなの都合でこのような結果を招いたとしか言えず、親が親としての責任を果たしていない結果ではないかと思えてくるのです。犬や猫でさえ、子供には餌を与えながら生きていくための智恵や愛情や兄弟親子の関係や想いを身体全体にすり込んでいくのです。一人一人の子供が工場で大量生産されるように同じ品質で材料で作られるわけではないのです。若い夫婦が自分たちの時間が欲しいために休みの日でも子供との時間を大切にせず保育園に預けて自分たちは遊んでいると聞いて子供を持つという自覚が足りないと思いました。苦労して事業を起こして発展させた父母ですが、私たち子供をいつも身近において大切にしてくれた父母のことを切にありがたいと思います。

健全に育った若者にも苦言がある。もっと若者たちに世界に出かけて欲しい。遊んで回れ、観光地へいけというのではない。史跡、美術館、博物館などを訪ね、各国の若者と交流し、考え方の違いを自分で経験して欲しい。そして外国から見た日本がいかに自分本位で、考えることが小さいか、いろいろな見方や考え方があることを知って欲しい。そしてなにより、普遍性を身につけてかえってきて欲しい。流行や目の周りの小さなことに目を奪われるのではなく、またゲームや若者に注目をひきつけるマスコミや企業の商業主義に惑わされることなく、地球はどうあるべきか、食料や資源はどうなっていくのか、人類はこれからどうあるべきか、国家とは国民とはどうなっていくのが理想なのか、そこから政治とは、経済とはどこへ向かっていくのがあるべき姿なのか。

坂本竜馬もあっちこっちに旅行している。長崎、鹿児島、京都、江戸、それも足で歩いて行ったりきたり、何回も。お金や時間があるとかないとかは二の次だ。要は志しがあるかどうかだ。勝海舟や大久保利通、福沢諭吉などはアメリカにも行っている。旅行することでいろんなものを見、無数の人に出会う、そしてそれを記録するだけに終わる人もいれば、ラウドスピーカーとなって革新、創造に多大の貢献をする影響をもつ人も出てくる。デカルトも「旅は大いなる本である」と言っている。荻生徂徠は「徂徠先生問答集」の中で「立派な武士になるには先ず歴史をやれ。そして旅行せよ」と言っている。歴史をやって時間的に過去にさかのぼって広い世界を知り、旅行をして空間的に広い世界を知れば、目が開かれて人生を知り社会を知る。

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