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そばの会通信2010年7月

下駄の鼻緒がまた切れた。一度は夏のシャツを切り裂いてすげ替えたが、足の指に柔らかくて気持ちの良い、しかも強い生地がなかなかない。私が小さい頃、下駄は普通の履物だった。母がゆかたの生地が一番いいといって古い浴衣を裂いて、手際よく直してくれたものだった。下駄を履くのは、スーツにネクタイの窮屈な仕事をしているうちからあこがれていた。すし屋の兄ちゃんのような高下駄ではないが、それでも桐の下駄だ。幅広くて軽い、素足に履く下駄の感触はたまらなく良い。最初に買ってきたこの下駄が一番あっている。そば屋には下駄が似合う。自分でそう決めている。白い前掛けに鉢巻を閉め、下駄を履くのが私のそば屋の決まりだ。たかがそば屋でも、「こんなところにはこうでなければならない」と凝る所があったんだとちょっと自分を笑える。

そういえば新しい下駄は、子飼(こかい)の商店街の中の下駄やさんで買った。私の蕎麦をいつも待っていてくれる、気持ちの良い老夫婦だ。子供が裁判所に勤めていて、東京に転勤になったという。頭が良くて裁判官になって、あっと気がついたら、下駄やを継いでくれる者がいないことに気がついたと笑う。子飼は水前寺清子が出たところで、商店街の看板には彼女の顔が描かれている。下駄屋のご夫婦は、寅さんの映画に出てくるおいちゃんのご夫婦に似ている。お客さんにもとても気さくで、お茶を飲みながら長話をしていくおばさんたちがいつもたくさんいて、店はそんな気さくなお客で賑わっている。この店も昔は毎日千人ものお客があってものすごくはやっていたのだと言う。夜の間に、空になった棚に商品を置く。ご主人は下駄をすげ、毎日夜も寝る暇がないほど売れたと言う。あればあるだけ売れた。商品を出すのが追っつかないほどだった。それが今ではスーパーやショッピングセンターに取られてしまった。日本中の昔の風情を残した商店街が、今、風前の灯である。

 

そば打ち職人の独り言;

今回はトイレのことです。フランスのシャルルドゴール空港は未来都市を思わせるようなチューブ型の通路が建物と建物をつないでいます。フランスらしいしゃれた空港です。パリの有名な百貨店でのことです。ここのトイレに入って驚いた。顔の前に便器が並んでいる。え!何のことか分からないって?私は身長160センチメートル弱の日本人でも背の低いほうですが、しかし、その便器は、顔を突っ込んで洗うのかと見間違うほどの高さでずらりと並んでいたのです。オランダ人は平均身長が190センチといいます。フランス人も180センチほどはあるかもしれませんが180センチ以下の人はとても小用を足すことは出来ません。しばし考えました。二歩下がって消防の放水訓練のように山なりに便器に向かって放尿するしかない。しかし、便器に届くまでの間と終わってから放水がしぼんでいく間は便器に入らない。仕方なく、大便器のふたを開けて子供と同じ用の足し方で済ませましたが、フランス人は背の低い人間のことを考えないのか、「人をバカにしているんではないか」と思えて仕方ありません。

アメリカのトイレは、大便所の扉が上のほうも下のほうも開放されています。つまり上からと下からのぞこうと思えばのぞけるのです。下を見て足が二本並んでいないところは誰も使用していないと分かります。つまり便器が腰掛の西洋式だからそんな扉になったのでしょう。和式だと剥き出しのお尻が見えてしまいます。さて米国でのバス旅行は、長距離を運転手だけ交代して途中トイレ休憩をしながら20時間から30時間を旅します。そこでトイレには我慢できなくなってから行くのではなく、頻繁に行って安全かどうかを見極めたうえで用を足す心構えが必要です。安全なところで用を足しておいて余裕を持っておくことです。良くトイレに悪さをする人間が潜んでいることがあります。人間を見る訓練をすればたいていの人間は目を見ただけで判ります。目で相手を判断するのです。おかしいと思ったら決して無理をして近づかないことです。「君子危うきに近寄らず」は、現代にも通じる格言です。

さてそこで衝撃的な中国のトイレを紹介します。最近はきっと変わっていると思いますが、1990年ころの中国です。上海、北京、天津と中国の改革開放が始まったばかりを視察して回ったときのことです。天津駅のトイレに入ったとき、昭和40年のころ、大学に入って東京に行くときの佐賀駅を思い出しました。小便器は仕切りも扉もなく横に並んでモルタルの壁に向かって用を足します。用を足しながら後ろを振り向いてギョッとしました。ヒキガエルのように同じ方を向いて用を足している人が34人並んでいるのです。糞尿はまたいだ間の深い地下の便つぼに落ちていきます。仕切りも扉もありません。用を足している人の尻をいやでも見ながら用を足すわけですが、用を足したあとどうやって尻を拭いたのか、トイレットペーパーなどあるはずもなく、紙を出して拭いている様子もありません。においが昔の日本の駅のトイレを思い出して、臭くて目や鼻に刺激が強く、じっと詳しく観察していませんので詳しいことは不明ですが、あとで一緒に行った同行者との話でも、それはへらで拭くんだとか、いや拭いたりしないでそのままズボンを穿くんだとかいろいろな説がありました。さて日本のトイレです。私が小さいころのトイレは汲み取りでした。小便も大便も便所の床の下一間ほどに便壷が埋めてあります。一杯になったら汲み取りさんが来てひしゃくで桶に汲みとっていきます。桶は大八車やリヤカーで人が引いたり馬が曳いたりして積んである桶が一杯になったら畑のそばのあぜ道の近くの地中にいけてある大きなかめに移します。その糞尿が醗酵して適当な日にちを熟すと再び桶に入れて肥料として畑に蒔くのです。そのころの畑には紙や脱脂綿がたくさん散らばってました。人糞を利用することはその後禁止されたようですが、駅の匂いといい、畑の匂いといい、そのころは日本中が独特の匂いに覆われていました。それが中国に行ったときに半世紀ぶりにその匂いをかぐことになったのです。列車のトイレは線路の上に殺菌も消毒もせずにばら撒かれていましたから、枕木を変えたり線路工事をする人は大変だったでしょう。トイレットペーパーなどを利用し始めたのはまだつい最近のことです。それまでは新聞紙や不要になった本を破って使っていました。用を足すときも、じっと踏ん張っていきんでいるだけではなく、両手で紙を揉んで、よくふき取れるように準備しなくてはなりません。紙がないときは「もうせん、紙な〜い」と家族を呼んで紙を持ってきてもらうのです。トイレのちょっとしたエチケットは、落とし紙といって用を足す前に紙を一枚下に落としておきます。それがないと大きい便が下に落ちたときにボチャーンと跳ね返りが上に飛んできてお尻についてしまうのです。女性の場合は音を消すために使用されてたようです。

半世紀前は畑の隅でよくばあさんが立ったまま小用を足していることがありました。お尻をちょいと向こうに向けて立ったまま身体を前に曲げ和服のすそを捲り上げて用を足すのです。昔はパンツをはかない腰巻だけでしたから、随分昔から女性の立小便は一般的だったのでしょう。この南阿蘇村ではつい最近もばあさんの立小便を見る機会がありました。別に見ようと待ち構えていたわけではありませんが、少し知っているばあさんの家をたずねたとき、畑仕事をしているところを見かけて、声をかけようとしたときにちょっと不審な動きで回りを見渡しているので動きを止めてじっとしていたら用を足す動作だったので、こちらのほうがあわててしまい、そのときは用事を取りやめて帰ってきました。今や、日本の便器は世界一進んでいて、お尻を洗ってくれるシャワーや便座を暖めるヒーターがついていたり、匂いを取る換気扇がついていたり、音を消すための流れる水洗の音を流したり至れり尽せりで、世界中から注目を浴びていますが、半世紀前はまだ江戸時代とそれほど違わなかったのです。

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