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そばの会通信2010年10月

十月、酷暑が過ぎて、朝の涼しさを感じる頃、稲刈りがはじまり、一面の景色が秋色に染まっていく。桜の木も青い葉が黄色く色づきながら一枚一枚とその葉を散らしていく。来年の春、また美しい桜の花を咲かすまでは、根っこのほうでゆっくり冬眠に入るのだろう。さあ冬支度をしなくちゃ。

さて、2004年から建築を開始していた新店舗が完成いたしました。7年前、佐賀の老舗羊羹屋の村岡総本舗の社長から茅葺の民家をただで譲っていただき、一年かけて解体してこの阿蘇に運んできました。そして6年前、山林で竹林のジャングルを安く譲ってもらい、竹の根を掘り草を刈って開墾し家を建てられるように慣らしました。そして3年前建ち家をして建築を開始。足掛け7年目、いよいよその家が完成することになりました。家の形は原型とは違うものになりましたが、古い民家の材料を出来るだけ使い、その土地に古くから茂っていた木立に囲まれるようにひっそりと阿蘇の山を望むように建っています。店長は中津由裕氏。彼はこの3月まで会社員でしたが、そばを食べに3年前くらいから一心庵に通っていて、私のスカウトにまんまとつかまってしまい、会社を辞めて新しい店の運営を全て引き受けてくれることになりました。とてもまじめでさっぱりした性格の人です。アウトドアも好き、それでいて生活の至るところでこだわりがあり、そば職人としては適任ではないかとご縁に感謝するとともに、とても期待しています。新店の落成に当たり、皆様に日ごろのご愛顧に感謝し、招待日を設定し、謹んでご招待申し上げます。また、「新蕎麦を食べる会」のご案内もあり盛りだくさんの11月ですが、どうか万障お繰り合わせの上ご来駕いただきますようお待ち申し上げます。

 

そば打ち職人の独り言;

『三四郎』の中で漱石は「7年もあると人間はたいていのことが出来る。しかし、月日はたちやすいものでね。7年ぐらいじきですよ」と言う文句がある。

今年は南阿蘇に住み始めて8年、一心庵を開店して7年が過ぎました。そして、7年前に開始した店の新築工事もいよいよ完成いたしました。たくさんのすばらしいお客様とご縁が広がり、地元の村人や自然からも温かく包まれ、本当にあっという間ですね、時の経過は。私は63歳。若い頃は社会の仕組みや人との関係、良い人、悪い人の見分け方、騙す人や落とし穴などいろいろなことを覚えながら、それでも騙されたり、失敗したりしてやってきた。今、この歳になって、こうすればこうなると分かっている。「儲け話しには裏がある」、これが知恵だ。だから若い頃は10年かかっていたことも、今は人の考えも、金やものの流れも、何でも分かっているから1年で出来る。だから、今こそ夢が本当にかなうときだと思う。60歳から10年で畑を耕して基礎を作り、次の10年で実を成らす。可能性なら経験豊富な我々のほうに1日の長がある、いや10年の長がある。だから、若い人の馬力と、経験豊富な熟年者(老人ではない)が手を握り、事業をはじめ、それぞれの持ち味を生かしあったらきっとうまくいくだろう。さらに経験が役に立つことがある。仕事でも夫婦の間でもまた遊びや趣味の仲間の間でも、意見の違いや見解の違いは必ずある。そのときの対応の仕方でその後の双方の関係がぜんぜん違ったものになる。若い頃はつなぎがなくても若さという吸引力でおたがいにくっついていたんだと思います。でもだんだん年を取ってきて、お互いの価値観の違いに気付き始めると、つなぎが必要になってきます。蕎麦のつなぎと一緒です。

中国と日本の関係などは良い例だ。国際関係では自分の見解を相手の立場を無視して発言するとその結果は感情的になり、国民のナショナリズムを刺激して解決の糸口をもつれさせてどんどん悪くしてしまう。

うまくいっているときは意見の違いや見解の違いが表に出ていない。相違点がないからうまくいっているのではない。その相違点が表面に出てきたとき、お互いにどのように対処しようかという解決方法をあらかじめ決めておくことが大切なことだ。民主的な方法は多数決が一般的だが、良い方法とはいえない。現実にはトップや役職が上の人、つまり力の強い人の意見を取り入れることが多い。少数の不満をもつ人が必ずいて、いつか噴出する。仕事にしても夫婦にしてもまた国際関係にしても、「自分本位で相手のことを考えていませんでした。まことに申し訳ありませんでした」と誤ることが関係修復の第一歩だ。先に誤ったほうが負けだという人もいるが、そんなことはない。自分本位を誤るだけで、相手の言い分を良く聞いて、相手の言い分と自分の言い分とを広く知らしめ、虚心坦懐であること、謙虚であること、損得、善悪と言う現代的価値観と決別するのです。多数決ではなく誰でも納得のいく解決策を導くことが一番大切なことです。じゃ何を根拠とするか、平和、友情、愛情、奉仕、協調、真理、自制、堅実、克己などです。弱肉強食の世界では弱者の論理、敗者の主義、といわれそうです。でも、戦後の高度成長、競争、技術開発、経済発展、合理化、グローバル化で私たちの生活は豊かに、幸福になったでしょうか。世界の秩序や価値観が変わろうとしているのだと思います。

マハトマガンジーは「力は肉体的能力からくるものではない。それは不屈の意志から湧き上がるものだ」「満足は努力の中にあって、結果にあるものではない」「人間は生きるために食べるべきであって、味覚を楽しむために食べてはならない」「土を耕すのを忘れるということは、自分自身を忘れるということだ」

日野原重明氏は「生き方上手」の中で、「人は本来、どんな不幸にも耐えることが出来る。あきらめることのない希望さえあれば」「きりのない願望が、あなたを幸せから遠ざけます」これらの言葉は人の価値観の根底におきたいものだ。

人には欲望があります。欲望もない人は腑抜けだという人がいるがそうでしょうか。欲望は生死を伴います。食欲、性欲、金儲け、愛憎、物欲など戦国時代は生きるため、欲望を満足させるため相手を服従させ、領土を広げ、民族の囲いを広げるために他の民族を滅ぼして自分の欲望を充足させました。現代は領土拡大や進出、占領などはしていないように見えて、経済発展、技術発展の現状は経済戦争で生死をかけた競争が激しくなっています。貧困は格差がますます拡大し、自殺者は空前の数です。このままではいつまで経っても欲望が果てしなく続き、豊かで平和な世界の実現はむつかしそうです。

新しい秩序が必要です。政治がそのことに気が付くべきですが、彼らは政党の拡大、宗教団体、企業、組合など組織との関係を深め、群れを作ることで金の力と数の論理をいまだに信奉しています。真の政治はどこにもありません。

司馬遼太郎は正岡子規について、その精神に虚喝というものが少しもなかったとあります。物事を文章で表現しようとすると必ず書く人の精神性が現れる。そしてその中に多少の虚喝が混じる。子規には正直で力んで表現しようとすることはなく、常に平易であった。反対に政治は虚喝で成り立っています。

柿食えば  鐘が鳴るなり  法隆寺

どこからこのように平らかな詩句が湧いてくるのだろうか。

生死と無関係の秩序が必要です。さまざまな取り決めですが、現代では茶道、武道、スポーツ、道徳、倫理などの作法や遊戯の中にその方法が見えます。

私にはそれ以上の能力はありませんが、みんなが期待している新しい秩序への夢や希望が少しずつ実現していくことを願っています。

さて、本店店長の中津夫妻との出会い。何か気付かせてくれる、何か目覚めさせてくれる、そんな大切な出会いです。私に必要な人が目の前に現れたのです。

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