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そばの会通信2011年3月

今年ほど、春が待ち遠しかった年は初めてです。1月は昼間でも零下の気温で、水道管は凍りつき、部屋の中でもマイナス5度と水も空気も山も谷も、全てが凍りつきました。2月になっても雪が毎週のように降り、梅の花がなかなかほころびませんでした。雪の結晶を観察し、さらさらの雪で焼酎割りを楽しみ、スイスの雪山の景色を窓から見える阿蘇の外輪山で堪能し、長く延びたツララに驚き、そんな中、来るべき次の冬に備えるべく、薪ストーブの薪を集めることも忘れておりません。夕方になると毎日の温泉が最高の楽しみで、ふっくらと温まった身体に心もふっくらとして懐の寒さも忘れてしまいます。

2002年、子供が蝶々を追うようにして、私はこの南阿蘇にやってきました。そこは今まで見たこともない空間でした。どこにいても山の中腹にいるようなところで、下を見るとはるか10キロ先まで左右に山あいが広がり、眼下には緑の田畑が続く。大きなすり鉢の中にいるようなもので、そのすり鉢のはしは青々とした1300メートル級の山がすり鉢上に連なっています。

下界では無縁社会が話題になっています。言葉が一人歩きして、それに囚われている人がメディアやインターネットなどで増幅され、現実社会と切り離されつつ広がりを見せているように思えます。道の真ん中に立ちふさがって、両手を広げてとうせんぼをしているのは誰か。ほかの誰かではない自分自身です。誰でもない自分自身が通せんぼをしていることに気付くと、自分自身を変えるか、替えればすぐに問題が解決することが分かります。腑分けしていくと、心の中の怪物、心の中の欲、心の中の自尊心や自分自身をかわいいと思う心、あるいは自分自身を醜いと思う心など、自分自身の中にいる魑魅魍魎をどう退治するかがその解決の道です。問題は自分の外ではなく中にあります。すり鉢の中に棲んでいると、自然と自分と向き合うことが習慣になってきます。

 

そば打ち職人の独り言;

犬の頭脳を百万個寄せ集めても、一人の人間の頭脳にはるかに及ばない。犬と人との間には絶対と言うべき断絶があります。それと同様、人間の頭脳を何百万個集めても「天にある偉大な力」とは絶対的な断絶があります。パスカルの言う三つの次元の秩序と言う肉体と精神、そして神の霊の世界と言う三次元があり、より高い次元の秩序にはより低い次元の秩序をいくら加えてもその次元に至る事は出来ないという。

アフリカやアラビア半島で起きている反体制派のデモで独裁専制的な政治形態をとっている国が、この世の中にはまだこんなにたくさんあったのかと驚いています。発達した科学では元素の配列が規則正しく仕組まれていることが知られていますし、宇宙の果てをまだ想像も出来ない人間の智恵の限界も解かっています。天の偉大な力は、どんなシナリオを私たち人間の将来に描いているのでしょうか。最近の出来事は、人間の欲望が矮小で知恵の浅はかなことをいやと言うほど知らされましたが、日本は外国で起きていることを他人事みたいに傍観できないし自分たちにも窮屈な将来が迫りつつあるのが現実です。

私が生まれたのは1947年、その80年前1868年の慶応4年正月3日、鳥羽伏見の戦いがありました。最後の内戦といわれる西南戦争は1877年、その少し前、佐賀の乱で大久保利通の率いる政府軍に壊滅され、新政府の初代司法卿を勤めた江藤新平が斬首の上その首がさらされたところは現在森林公園といって佐賀県民の憩いの公園になっています。その明治維新の回転し始めた鳥羽伏見でさえ、たった140年前のこと、それほど時代と言うものは古くはないのです。

ましてや太平洋戦争に於いておやである。戦後65年、まだ歴史の中に埋もれるほどの年は経ていません。源平や関ヶ原、明治維新と日本民族が美しく流した血で語り継がれてきた時代から、官僚の硬直した仕組みの欠陥をさらし、純粋で無垢な若者のおびただしく血を流した昭和、世界40数カ国を相手に戦争した、史上例のない戦争の時代の昭和。

2006年12月18日、国会で防衛庁を防衛省に格上げする法案が、与党の賛成多数で可決成立した翌日の19日、阿蘇では早朝から砲弾の音かミサイルの音がまだんなく続き、窓ガラスがゆれ、地響きがあり、不気味ですさまじい音を轟かせていた。南阿蘇の南外輪山にある演習場での自衛隊の実弾訓練である。アメリカの01年9.11の同時多発テロ以来、日本がイラクへの自衛隊派遣を実行に移したころから一段と演習が目立つものになってきた。どこにこんな無気味な軍用車や戦車があったのかと思われるようなものが、堂々と県道や国道を走るようになり、5〜6台の車列がだんだん増えて10台から20台となり、いよいよ30台、50台といった驚異的な車列となって市民の目にはっきりと見え、しかも自衛隊をはっきりと意識させるような意図さえ見えるようになった。ヘリコプターの大編隊が阿蘇山上を移動する。北西方面から南東方面へ編隊飛行だ。ジェット戦闘機がその上空をどどっと行く。

これほどたくさんの軍事用の多種多様な車両を日本の自衛隊が所有していることはそれまで知らなかった。戦車、装甲車、砲塔を付けさえすればいかめしく恐ろしい軍事用の即戦力の車両になるのでしょう。それらが延々と続く。何の訓練か知らないが、迷彩色を施してあるので、このいかめしい軍用車両と出くわすと、何ともいえない嫌悪感が湧いてくる。これらを統制する組織や機能が、民主的な合意の下、平和と安全を守り、国民の生命と財産を守るための最終手段として、出来ればその機能を行使しないことを最善として装備し、保持するものだと分かっていても、軍靴の音が聞こえてくると言うのは何ともやりきれない思いがする。人間はやっぱりおろかな動物なんだと思わざるを得ない。

このような集団が権力を持って言論や自由や色々な規制をし、ついにはその力をさらに発揮するために情報を操作し、実力で行動を規制した場合それに抗するものはない。イラクやアフガニスタン、最近のシリアなど、その他統治権力を握ったものがはるかに大きい軍事力や警察権力、政治力、などを握った場合、腰に爆弾を巻いて軍用車の下に飛び込んだり、政府専用車を狙って自爆したりする少数意見の人たちの心境が良く理解できる気持ちになる。

こうしてみると、この日本は先進国というにはあまりにもお粗末な官僚政治を拝している。民主化が進んでいないといわれる東南アジアの国々を笑えるはずがない。彼らは武装して果敢に権力に対抗する勇気を持っているし、軟禁されようと弾圧されようと、家族や同じ民族が虐待され血に染まろうとも、権力や体制に反抗し、革命の意思を明確にする行動力があることは、官僚達がこの国を食い荒らして責任も負わず罪にも問われない、それに対して何も行動を起こさない日本人とくらべても、尊敬に値する。革命やテロを賛美するのではない。むしろ断固許せない。ただ同じ日本人として、現在の政治家、官僚など国民の生活や生命財産を守るべき役目をになう人たちの志、思想、信条の粗末さに、情けないのと、何も出来ない自分に対しても情けないだけなのです。

どんな天災でも大いなる人災にくらべるとものの数ではない。火山の噴火や地震などの自然災害は人智の届かないところとあきらめがつくが、人為的な災害は避けることも出来るはずだという悔いが残る。日本の現状では何にもしないということを決める政策が最も重要で効果的な政策ではないでしょうか。新規事業を決めてもハイエナ官僚が群がって予算を取り合いするだけで福祉や弱者救済など名ばかりで実がないことは国民がみな知るところです。

日本人には今何かが必要です。それは仕組みや、規則や金や物ではなく、日本人としての心、志、哲学、信条です。天の啓示を引提げて、日本の行く末を指し示してくれる教祖が必要です。現代の龍馬よ出でませい!。

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